恋 花
― 07.好き ―
未玖(みく)との何気ないメールのやりとりが、突然に途切れた。
未玖からの、返信。
携帯の画面を見たまま固まったオレの横から、叶(かのと)がどうした?と覗き込んでくる。
そして彼は、あーぁとあからさまにため息をついてオレの肩に腕を回した。
> 想(こころ)、泣いてる
「カワイソーなココロちゃん」
大袈裟に嘆く振りをして、彼はそれがさも面白いことのように言った。
「……なんでオレに言うんだよ」
彼の腕から逃れて、携帯を閉じる。
笑って叶に応援したものの、心にはただ動揺が走っていた。
「だって、お前が原因だろ?」
逸らした視線、叶は簡単に追い付いて。オレの顔色を伺いながら、更に唇の端を緩める。
「……たぶんね」
答えながら立ち上がって、フェンスにもたれ掛かった。軋むような音が、乾いた空気に伝う。
「未玖ちゃんの遠隔操作、上手くいったみたいだな」
座ったままの叶がオレを見上げて、嫌な奴の笑い方をした。
「そんなんじゃねーよ」
「じゃあ、どんなんだよ」
深い息を再びにはいて、オレは意味もなく視線を空へとやる。
「お前、楽しそーだな」
オレの呟きに、叶が声を殺して笑った。
「だって、百戦錬磨の清春くんのそんなショックそうな顔、なかなか見れるもんじゃないからな」
叶がオレの顔色を伺いながら冗談めかす。
突っ込むこともバカらしくて、なにも言わずに叶を見やった。
叶は、呆れて物も言えねーよとでもいうような顔をしてオレを見返してくる。
「そんな顔するくらいなら、回りくどいことしなきゃよかったのに。だから言っただろ。どうなっても知らねーぞって」
もっともすぎる叶の言葉。何度も、叶がオレに言い続けてきた言葉。
今更に、その意味を飲み込む。
いつでも意思のある、強い瞳がそこにはあって。軽い言葉なんかには揺らがないような、確かさみたいなものがあって。
だから、そういう早瀬の強さに甘えて。傷付けた。
涙を流すなんて、思いもしなくて。あの冷静な瞳が揺らぐことなど、考えられないほどに。オレは、自分のことしか頭に置くことが出来なかった。
届けばいい。伝わればいい。
ただ、それだけだった。
その視界に、その感情の中に入り込みたくて。
どうしても、振り向いて欲しかった。
叶の携帯が鳴る。相手はどうやら未玖のようだった。
話の断片。未玖は早瀬を連れて教室を出たらしい。
そして、今は未玖までもが泣いている。
叶がいつもの調子で、それでも親身に未玖を慰めている。
未玖は、自分を責めているようだった。
携帯を切った叶が言った。
「お前さぁ、なにがしたかったわけ?」
これからどうすんだよ。問うような彼の瞳に、オレは自嘲気味に笑うことしか出来なかった。
「……考えてる。どうしようか、考えてる」
「なに、まだどうにかするつもりでいんの?」
「いるよ」
「想ちゃん泣かせて。未玖ちゃん泣かせて。お前、全然懲りてないのな」
「懲りてるよ。ただ、諦めてないだけ」
「同じことだろ」
バカだなぁ、叶が首を横に振りつつ盛大なため息をついた。
授業終了のチャイムが、叶がオレに呆れ尽くすのを待っていたかのようなタイミングで響き渡る。
「お前、次どうすんの?」
叶は伸びをしながら欠伸をして、まだ寝たりないという顔をした。
「出れるわけねーだろ。放課後まで待って帰る」
「……あっそ」
叶はつまらなさそうにオレを横目で見やって、じゃあオレは次出るから、と手をひらひらと振った。
ドアを開ける寸前、ふと立ち止まった叶が振り返る。なにか言おうと口を開いて、結局なにも言わずに、彼は屋上から出て行った。
一人になった屋上。日が暮れ出して、肌寒い。オレはフェンスにもたれ掛かりながら座り込んで、ぼんやりと空へ視線をやった。
叶が置き忘れた本を、手持ち無沙汰に開いたり閉じたりしながら、視線ではなく深いため息を落とす。
体育の授業の声が、グラウンドに響く。午後の気だるさを含んだそれは、面倒くさいを連呼しているように聞こえてならなかった。
少しだけ疲れた色合いに満ちた空気は、校舎全体から漂っているのだろうか。それは今の気分と寸分違わないような、虚ろさ。
しなくてもいい遠回りばかりだったのかもしれない。どうしても、の想いが強すぎて。
こうするつもりはなかった、あぁするつもりはなかった。思い返せば全てを後悔している自分がいる。
> 想 泣いてる
未玖からの返信メール。簡潔に書かれたその文字が、頭に焼き付いて離れない。
ごめん、とか。きっとそんな言葉じゃ届かないだろうと想うのに。そういう情けない言葉ばかりを、心の中で繰り返して。伝うはずもないのに、まるで自分の心を軽くするためだけのように、そんな言葉ばかりを繰り返して。
そのくせ、微塵も早瀬を諦める気持ちはなくて。
どうしても、好きで。
その姿ばかりを追い駆けるのに、早瀬を振り返らせることも出来ない。
泣き顔を見たくない無意識が、早瀬を泣かせた罪悪感にも似た感情が、早瀬の肩を叩こうとするオレの動きを止める。
行き場を失った手を、軽く握り締めて。
途方に暮れたような感情が、格好悪くもがき続けていた。
胡乱に流れる空気の中は、そうしたどうしようもなさを余計に増幅させて。これが最後の一回だと決めたため息が、やたらと大きく響き渡った気がした。
もう一度、今度はオレが、早瀬の目の前で散らせてみようか。
オレンジ色の、あの花を。
伝え直しがきくのなら。
今度は、キミを泣かせずに。この想いを伝えるのに。
広げた掌。あのオレンジが、滲んで消えた。
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