楽園の花

雪山の花



 山へと出発する前日の夜。あてがわれた部屋で彼女は、時計を不思議そうに眺めていた。
 時計の短い針や長い針はすべて大小の歯車だけ。後はネジを巻く力で動いている。さらにこの時計には、秒、日、月も表示されている。

「時間って、誰が決めたのかな」

 今でも、こんな詳しい時間というモノを知っている人は……この街では少数派だ。
 朝、昼、夜。これだけ分かれば生活に困ることは無い。この世界中で、時間が必要な人はごく一部なのだ。

「不思議……それに、きれい」

 時計に特別な装飾が施している訳ではないのに、どこか不思議な気持ちになる――。

「あ、そっか……。先生に似てるんだ」

 それを誰か他人が聞けば、失笑したか、子供の言葉だと言っただろう。人と時計が似てるなんて、おとぎ話にもならない。
 しかしこの少女の言葉が、実はかなり的を得ている事は――彼女自身、知るよしはない。
 
「あ、ネジ巻かないと……」

 背面にネジを回す為の鍵がついてあり、それを使って頭から回す、単純な動力。

「どんな仕組みなんだろ」

 そんな事を考えながら、彼女は眠りについた。


 
 指先に走る激痛を耐えながら、寒い洞窟の中を彼女は歩く。

「はぁ、はぁ……」

 先ほどまで気絶していた体には、この寒さは堪える。それでも彼女は前へと進む。青年との約束の為に。
 
「あと、一時間くらいかな」

 すでに周囲は暗闇の中だ。陽のある場所で見た地図と時計により、大体の位置と時間は把握した。
 だが、この穴が地上へ繋ってるかどうかは、運任せになってしまう。
 それでも、彼女は前へ進む。
 
「くッ……ぅ」

 指先に巻いた服の切れはしを直しながら、左の壁に触れながら歩く。時折走る激痛も、慣れてきた。
 そうやって、しばらく歩いた。時間がどれだけ経ったかは、暗闇のせいで分からずにいる。

「あれ……曲がってる?」

 突然壁の感触が無くなる。どうやら折れ曲がっているようだ。

「このまま行けばいいのかな……?」

 とは言え、判断材料も無いので勘に頼るしかないのが現状である。

「行って、みようかな」
 
 曲がっている方向へ進もうとした時、彼女の耳には聞こえた。

「ん?」

 カチ、カチ、カチ――

 それが、首からさげた時計から発している事に気付くのに、しばしの時間が必要だった。 何故なら、今まで“音”なんて鳴らなかった……もしくは、鳴っていても限り無く小さかったからか。

「もしかして、私になにか言ってる?」

 少女の歳がいくら子供といえど、普段ならこのような事も言わないだろう。
 特異な状況だから。鳴らないはずの音が聞こえたから……どれも理由には足りないかもしれない。
 それは直感と言うべきか……普段は感じる事のない感覚。いつもなら異質に感じとる“それ”を、彼女は不思議に思わなかった。
 
「こっち?」

 後に、彼女はこの行動について一切考えなかった。まるで、忘れてしまったか――忘れさせられたように。


「確かに、風が吹いてる」

 ほとんど微動だにしない洞窟の空気の流れ。大きく動いているという事実は、なんらかの出入りできるくらいの穴が地上と繋っている事に他ならない。

「うん。もう少しなの?」

 自分の胸元に話しかけては、道を選択していく。先ほどのように壁に手をついてるものの、その歩きには迷いが無い。

「あ!」

 そして彼女は闇の奥に、小さな光を見つけた。同時に、時計の音は聞こえなくなったのだが、彼女は気付かなかった。


「外だ…」

 中に居たのは一時間くらいだろうか。それだけの時間でこれだけ光が恋しいと思えるのだから、人は陽が無ければ生きれない。
 
「わぁ……凄い景色」

 出口は山の岩場の一角にあったらしく、そこから街や平野が一望できた。

「白銀色だ…」

 しかし見惚れていたのはそこまでだった。
 背後に強烈ななにかを感じ、少女は体を強張らせる。だが、それが失敗なのだ。

「てめぇ、さっきのガキだな!?」

 太い腕が彼女の首に巻き付く。一瞬にして宙に浮された彼女は、息苦しさにもがいた。

「くぅ…ッ」

「はっはっ。こんな所でまた出会えるなんて、俺はとても運がいいな!」

 さっきの兵士の男だというのに、そして男には先ほどの余裕が無いのは少女から見ても明白だ。

「あの野郎は王国軍ご自慢の騎士か!? それか他国の機密部隊か何かか! どっちにしろ、そうでもなきゃ俺達がやられるはずない!!」
 
 男は錯乱していた。自分の喋りに夢中になり、どんどん締め付ける力を強めていった。

「――かはッ」
「そうだよなぁ。こうなったら、このガキを人質にするか? 当てつけにここで開きにしてやるか?」

 そう考えたら、自然ともがいていた。鍛えられた兵士と、か細い少女では端から勝ち目は見えている。
 それでも――、

(なにもしないのは……嫌)
「このガキ、暴れるんじゃねぇ!」
「ッ!!」

 少しだけ緩んだ腕に、少女は持てる力をすべて出し噛み付いた。

「ガッ!?」
「……!」

 さらに出来た隙間から、彼女はすり抜けるように束縛から逃れる。

「早く、逃げないと……あ!」

 逃げるのに必死になりすぎて、コートに引っ掛けていた地図を落としてしまった。

「いってぇなぁ……あぁん、ガキ? なんだこの紙切れ」
「……返して下さい」
「地図か?」
 
 眺めていくにつれ、男の顔はニヤついてきた。もちろん、少女にとって悪い意味で。

「この印。ここがお前達の部隊のキャンプか? それとも本国との連絡員と落ち合うのか……結構長い事、この山に居るが、ここは知らなかったなぁ」

 その場所こそが青年と落ち合う場所であり、最初の目的地である。

「違う……」
「か、どうかは俺が判断する。ここで殺されたくなかったら、一緒に来てもらおうか」
「嫌」
「はっ。俺はどっちでもいいけ――ぶッ!?」
 
 今だに自分が優位だと得意になっていた男は、投げつけられた雪玉を避けられず顔で受けてしまう。

「返して!」
「このッ」

 その隙に地図を奪い取ろうと、男の腕に飛び掛かる少女。
 しかしいくら虚をついた所で、

「──ガキが!!」
「ぁッ!」

 大の男に敵う確率は限りなく低い。
 飛び掛かって来た少女目掛け、男は拳を合わせ殴る。

「――ッ!?」

 腹に一撃を食らった少女は、人形のように吹っ飛び、半身が雪の中に埋まった。

「ったく、余計な手間掛けさせやがって」
「ゲホッ――うッ」

 少女は込み上げてきたそれを抑えきれず、その場で吐き出す。赤い色の混じった吐しゃ物だ。

「面倒だな」
「……」
「これが見えるか? 俺達の部隊が特別に所有する事を許された、最新式の銃だ」
「……ッ」
「クソむかつく目をしやがって」

 パンッ――乾いた破裂音が山に響き渡る。
 血が飛び散り、雪を赤く染めた。

「くぁッ!?」
「簡単に両足をぶち抜くたぁ、さすが最新式だ。これで抵抗する奴なんて、いやしねぇだろ」

 男は満ち足りた顔で語る。
 優越感。強者が弱者に抱く絶対の余裕。今、男を支配している感情。

「く……ぁッ」
「はっ、それじゃあ行こうか」
「あぁッ!」

 痛みにより苦悶の表情を浮かべる少女の腕を無理やり掴みあげる男。
 あまりにも強く握った為に手首の骨が軋んむ。

「あッ…くッ」

 雪の上には流れ続ける血が大量に付着し、純白を汚していった。


「……」


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