少し無理を言った。
有り体に言ってしまえば、我侭、だ。


けれども、それは何より必要なことで。


だから、は結局それを押し通した。
綺麗な顔で困ったように笑う貂蝉には悪いと思ったのだが。
ある意味で、このことはにとっては死活問題でもあり。




――――近いうちに、は一人で外の世界へと放り出される。
いや、自分から出て行く。
左慈の言葉には従わないために。



だからこそ、最低限のこの時代の常識を、予備知識として知っておく必要があった。



とはいえ、それ以外の感情が、例えば好奇心などがなかったとは言えない。







さん、そんなに早く歩いてしまわれると、転んでしまいますよ」


まだ体力も回復しきってないのですから、とどこか母親めいた言葉が優しい貂蝉の声に乗せられて、の耳に届く。
が、は大丈夫、と半ば上の空で、きょろきょろと辺りに視線をめぐらせながら返して。

の目は、まるで映画のワンシーンから切り取ったような風景に向けられていた。
軒を連ねるは、木と石でできた、どこか―――にとっては―――歴史的なものを感じさせる家々。
そして、決して多くは無いが、すれ違うのは城内よりも少し色にかける感は否めないものの、しっかりと生活の匂いのする人々。

は貂蝉に無理を言って、城下へ来ていた。


もちろん、今までこのような風景は、城の中からは見てきた。
それに、曹操のところでもここに来てからも上流と呼ばれる人の暮らしは見てはいた。
確かにそれらの暮らしも、きらびやかでいいなぁと思うのだが。
こうやってごく普通の人たちの生活を、こうやって同じ目線で見る方が、やはり自分の性にあっている気がする。


は別に歴史が好きという人間ではない。
しかし、やはり見たことのないものを見るのは純粋に楽しい。

通る人々にとっては当たり前の風景が、だけには特別に見える。

何となく、得をした気持ちになりながら、は歩いていた。




しかし、しばらく歩いていれば気がつく。
すれ違う人はそれほど多くは無くても、気がつく。

ある程度慣れてしまって少々新鮮味が薄れた風景に、違和感をは感じた。



「ねぇ、貂蝉、」


足を止めて振り返る。



「はい、」
「もしかしなくても、ここの領地ってあまり豊かじゃないの?」
「――――え?」


の目に映るものは、彼女の世界と比べればずっと簡素で、お世辞にも清潔な感じはしない。
最初は時代が違うからそう感じるのだろうと思っていた。
ただ単に、ここの普通を知らないからそう見えているのだろうと、思った。

しかし、すれ違う人も、雰囲気も、活気が無い。
ここは別に、の世界でいう夜のビル街でも何でもないのに。


尋ねるに、貂蝉は少し困ったように首を傾げた。


「そう、ですね……でも、ここ以外も、それほど富めるところは少ないのですよ」
「そうなの?」
「えぇ、」


貂蝉は静かに目を伏せた。



「――――今は乱世ですから」



乱世。
口の中で反芻して。


「………そういうものなの、かな」


何となく、納得してしまう。

戦が絶えず、人々も安寧と過ごす事が出来ない時代。
の時代では考えられないが、そんな過去の時代はたくさんあった。
そして、今いるここも乱世だ。
それは、事実。

けれども、どこと無く嫌な感じがする。


ここに来るまでは、城の中ではそんな雰囲気は微塵さえなかった。
出される食事も上等なものであるし、衣服も困らない。

なのに、城下は人がいないわけではないのに、どこか暗い。



乱世だからしょうがない。



まるで、


「………下手な言い訳みたいよね」


何となくつぶやく。

しかし、には関係の無いことでもあって。
貂蝉に言っても、否、無関係のが言ってもしょうがないだろう。

は再び身体を反転させて歩き出そうとした。



が、



「え、」
「あ、」



と貂蝉の声が被る。
そして、二人とも同じ方向に、家々の間の少し狭い裏路地のようなところへ目を向けていた。




声が聞こえたのだ。
怒鳴り声が。



瞬間、二人の目には数人の男達が―――が見たことのある服装から察するに役人達が、一人のみすぼらしい服装をし、地に伏している人を取り囲んで。
はっきりとは聞こえないが、役人らしきものたちが、その伏した者に口汚く怒鳴っているようだ。
と、不意に、税を払えないなら、という文章の欠片をの耳が捉えた。


途端、この状況何であるかをは理解して。
少し驚いたが、同時に何故かすんなりとこの事実をは受け入れていた。


何処にでもある政治腐敗。
乱世なら仕方ない。


すぐにそんなことを思ったのだ。
否、そんなのは言い訳で、ただ単に厄介ごとに関わりたくないという精神が働いたのだろう。


けれども、当たり前だが気分のいいものでは、ない。
役人の人数がもう少し少なく、その腰に武器がなければ、もしかしたら安っぽい正義感を振りかざして入っていたかもしれないくらいには嫌な光景だった。





無視すればいい。


囁く。



そうではないか。
大体が、もう自分はここの人とは関係がない。
主になる気など全く無く、否、ならない。
そう決めたのだ。

ならば、今更、関わる必要も無い。


声をかける必要も、ない。




は一瞬、それを見なかったことにして、そのまま歩を進めようともした。
しかし、ぴたりと、足が地面に吸いつけられたかのように、その場から動けない。




――――本当に?



小さな声が呼び止める。





途端、の鼓膜を震わせたのは鈍い、音。


はっとして再度その方へ顔を向ければ、ぼろぼろの服を纏った男が役人らしき男達に足蹴にされ。
そして、男達はさらに口汚く罵しり。
さらには、腰に着けていた剣らしきものの柄にさえ手を伸ばして。




見ていられない。

いられるわけがなかった。




「―――――ちょっとそこの役人、何してるの!」



気付けば、叫んでいた。









さよなら、月夜

転換点






腹から一気に出された声は、綺麗にあたりに響き渡る。
同時に、少ないながらも居た周りの通行人も、その当事者である役人らしき男達も視線をの方へ向けた。

はそれに一瞬怯んだものの、そんな色は顔には全く表さずにただ役人を睨みつける。
が、役人らは驚いた顔をしたものの、すぐさまそれをおさめ、何を思ったのか互いに顔を合わせ、笑った。


その笑い声がまた妙に癇に障り、は器用に片眉を跳ね上げた。



「見てわからんか、取立てだ」
「税金の?」
「そうだ」


当然ではないかという、傲慢な物言いに、胸の辺りがムカムカとして、気持ちが悪い。


「――――暴力まで振るって? 恥ずかしいって思わないの、いい大人が」


また、笑い声。
途端、きしりとの中の何かが軋むような音も聞こえた。

そして、男達はひとしきり笑うと、の方へと歩を進めてきた。
は、負けずにじっと睨みつける。


「決められたものを払えなかったんだ、当然だろうが」
「だからって、暴力を振るう必要性はどこにもないわ。人間だもの。言葉、通じるでしょう」
「仕方ないだろうが? 払わないこいつが悪いんだ」


言葉が通じない。
確かに、言葉の応酬ではあるのだが、互いの言葉は交じり合わない。
奇妙な平行線を描いている。


「ふん、小娘の相手などしてられるか」
「なっ、」


小娘。

二度目だ。


そして、またぎりっと軋む。


不意に、棒立ちになっていたともこの腕を引っ張るものがあった。
そして、耳には鈴を転がすような声。


さん、行きましょう……こんなことに関わっては、」


と、それをさえぎるように他の耳障りな、声。


「全くだ。今までの言葉は聞いておかなかったことにしてやる。さっさと去ね」
「―――あぁ。これ以上何か文句を言う気なら、小娘といえど警邏に突き出すぞ」



振りかけられたは、権力。
自分達が、役人という上の身分にあるということから来た、傲慢さ。



そして男達はもうになど興味は無いといったように、地へ伏している男を足蹴にして。




ぷつりと、何かが千切れる。


俗に言う、キレたという感覚。
途端、は腹に力を入れて、声を発していた。



「―――――あんたたち、知らないの? ここに新しい領主が来るって話」



腹の底から、じわりじわりと出し、同時に睨みつける。
すれば、男達が一瞬何かと怯んだ。
後ろから貂蝉が腕を引くが、はそれを振り払う。

そして、言い放った。




「私がその新しい領主のよ、この馬鹿役人どもっ!」
















「いやいや馬鹿は私だろうが、この大馬鹿………」


は自室としてあてがわれた部屋で卓に突っ伏しながら、つぶやいた。


後悔。
後で悔やむと書く熟語だが、全くその通りだとは実感していた。
できれば、実感など数多くはしたくない気持ちであるが。


全く、一体誰が、主にならないと言ったのか。
その同じ口で、全く逆のことを言うとは何事だ。



しかも、それだけじゃない。






貂蝉の言葉によって裏付けされて事実を知った役人たちは、それはもう鮮やかに顔を真っ青にさせて去っていった後―――その後がまたにとっては問題であった。



伏していた男が、涙ながらに礼をいい、さらには家族まででてきて、そろって礼を言われた。
さらには、いつの間にか集まってきていたギャラリーの中からも声が上がり。

このようなすばらしい主を迎えられて非常に嬉しい。
これからもお願いいたします。

すがるようにも言われた賛辞の言葉。







「………そんな褒められた人間じゃない…………」



は、卓にこぶしをたたきつけた。



そうじゃない、自分はそんな褒められたことをしていない。
ただ、肩書きを使ってあの役人達をやり込めただけだ。
あの役人が民達にしていた仕打ちと同じようなものだ。


思い出すだけで、自分のしたことに呆然となる。


自分も十分に傲慢ではないか。
振って湧いたように与えられた―――しかも放棄するといった―――権力を使って。

しかも、安っぽい正義感で。
否、正義と名づけるもおこがましい。



しかし、



「――――放っておけなかった……」



事実だ。
嘘偽りの無い。



そして、あの男の人とその家族を助けられて、感謝の言葉を言われて、よかったと思っている自分もいる。


けれど、それはが権力を振りかざしたからこそでもあって。



ぐるり。


まわる。








と、扉を叩く音。
ははっと顔を上げ、誰だと尋ねれば、


さん、貂蝉です」


少し、迷った。
しかし、は結局入るように言って。



静かに扉が開いて、貂蝉が顔を覗かせた。


「お加減は、如何でしょうか?」


は眉根を下げた。


「―――――最悪、かな……」


反吐が出る。

そこまで言って、は苦笑いを貂蝉に向けた。
貂蝉は困ったようにあいまいに笑って、そっとの向かい側に座った。
そして軽く卓に手を乗せて、じっとを見つめる。
しかし、彼女は何を言うこともなく、ただまっすぐに見つめて。



その吸い込まれそうな碧色の瞳に、何でも見透かしているのではないかと、ふとは思う。
同時に、優しさも湛えたそれに、何故だか縋りたい気持ちになって。


思わず、頭を巡るだけだった言葉を、は外へと流していた。







貂蝉は静かに、の話を聞いていた。
相槌もその形のいい顎を少し引くだけで、ただ静かに。
その碧色の瞳をに向けながら。


そして、が一通り今の自分の気持ちを―――主にならないと言いながらその威を借りて権力を、まるであの役人らのように振るったこと。だから、感謝の言葉が重いということ。でも、そうしておいてよかったとも思っていること。けれど、やはりこんなことをした自分が許せないとも―――すべて吐き出した後に、貂蝉は軽く息をついた。
貂蝉は、話し終わってずっと俯いたままのに、そっと言葉を差し出し始めた。



「権力には、その名の通り力があります。もしかすると、何よりも強い力かもしれません」


静かに、紡ぎだす。


「私は―――その権力という化け物が暴威を奮うのを、目の前でまざまざと見てきました」


急に落された超えに、はそっと顔を上げた。
そこにあったのは、悲しげな眼差し。
どこか滲んだように見えるその碧色に、は思わず目を背けた。

と、くすりと小さな声が洩れ出る。


「けれど、貴女は違うと思うのです」
「え、」


先ほどとは違う、きっぱりとした物言いに再び、視線を貂蝉へ向ける。


「貴女は、権力にはおぼれません。自分を律することが出来ます」


は目を大きく見開いた。
そして、胸の奥から喉を引っかかるようにして乾いた笑みが、こぼれる。


「そんなの、買い被り、」
「では、どうしてそんなに権力を振るったこと、しかも振るうべきところで振るっただけでこんなに思い悩んでいるのですか?」


思わず、続く言葉を飲み込んだ。
は呆然とした表情で貂蝉を見上げる。
貂蝉はきりりとりりしく吊り上げられた目を、緩めた。
優しく、まるで子供に言い聞かせるかのように貂蝉は言葉を紡ぐ。


「権力は多くの場合、使い方を誤って人を不幸せにします」


けれど、と貂蝉は口元に笑みを乗せた。




「貴女ならば、多くの人を幸せにも出来る」




そんな気が、するのです。


そう言って、貂蝉は少し恥ずかしげに目を伏せて立ち上がり、に背を向けた。


「差し出がましいということは、わかっています」


ですが、




「主となること、考えてみてはいかがですか」





そして、一人残される。



はただ、呆然と閉じられた扉を見つめて。
見つめて。



素敵に安易すぎるターニングポイント。
2007/06/05

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