無意識を許さない人間が稀にいる。
 どんな行動にも、言動にも、仕組にも、思想にも疑いを抱き、

「良い人だよね」

 教卓にあったプリントを整える仕草の一つにすら、理由を求める人間が稀にいる。今声を発した“あれ”がそうらしいと知ったのは最近だった。

「何で?」

 散らばっていたから、ただ揃えるだけのつもりだった。特に意味なんてないし、意識してやったわけではない。何となくだ。
 顔を上げて“あれ”と目を合わせるのが嫌で、プリントに書かれた出席番号をぱらぱらと眺める。どうでもいい、ただの出欠表だったけれど、順番通りに並べてみようか、と思った。

「そんなことする必要ないじゃん。放っておけばいいのに」
「必要のないことはしちゃいけない?」

 いち、に、さん……13番が欠けている。

「楽しい?」
「別に」
「優しいね」
「何で?」
「親切だね」
「そう?」

 視界の隅に、薄汚れた上履きの先端が音もなく現れた。顔を上げずとも、自分を見ている“あれ”の姿が目に浮かぶ。暗い言葉に似合う暗い目で、こちらをじっと観察しているんだろう。

「偽善者」
「偽善者に構う必要はないんじゃない? 放っておけばいいのに」

 上履きが一瞬揺れた。
 この手にあるたった一枚の紙の、筆跡、しわ、欠席の文字を囲む丸の形にまで、理由があると考える人間が、1メートル弱の空気を隔てて自分と向き合っている。
 誰も信じない人間が、こんなに近くに立っている。

「理由のない優しさなんてないんだよ」
「そう」
「何で優しいの?」
「優しくないよ」
「何で良い人ぶってるの?」
「さあ? 出欠出してないの、きみだけだよ」

 プリントを揃えて、教卓に置き直した。

 突き詰めて考えれば、どんな人間だって、全ては自分のために生きている。
 良い人というのは、「周囲にとって」都合の良い人。悪い人というのは、「周囲にとって」都合の悪い人。
 利己心の混じらない善意はなく、理由のない好意なんてあるはずがない。……“あれ”がそう言ったのは、最近だった。

「じゃあ、バイバイ」

 “あれ”に背を向けた途端、紙が擦れる音が響いた。ばさばさと立て続けに音が落ち、先ほど揃えた紙が、ばらばらに自分の足元を滑った。
 黙ってそれを拾おうとしたら、「何で」と一言“あれ”は言った。

 だって、“あれ”に言われてしまったら、そんな気がするではないか。
 自分が常に他者の目を気にし、自分の無意識は実に利己的で、理由を付けられない感情など持つべきではないような、そんな気がするではないか。

「偽善者」
「そうなのかもね」

 顔を上げると、真っ赤な腫れた、それでも暗い目が、自分を見下ろしていた。進んで疑念を求め、自ら孤独を選ぶ、他者を必要としない人間。
 背を向けて駆け出した“あれ”に、哀れだと言ってやりたかった。



 散らばったプリントを、一枚一枚拾い集める。番号順に並べる気も起きず、適当に教卓に置いた。
 善意も悪意もないのだと、どうして気付かないのだろう。弱いから信じられないのだろうか。弱いから、その弱さを受け入れられなかったのだろうか。
 どちらにしろ、

「好きだったのに」

 だから、“あれ”が嫌いなんだ。




理由を求める度にあなたを嫌いになる
07.04.15 // 恋愛話を書くつもりだったんで(ry
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