その冷えた白を前に冷たい銀を握る。



 刃を乗せれば、白い皮膚に影が落ちた。
 仄暗いそれは石膏像に落ちる影のような不気味さを持っていて。
 けれどそれがまた美しい。

 その白が穢れぬように、そっと、そっと刃を引く。力を込めずとも白い外殻は破れ、赤桃色の中身が淡い彩色のキッチンに映えた。
 赤い体液を零さぬように、細心の注意を払って白の上に銀を滑らせる。
 その自然の生み出す美しい色の線がある程度まで達した所で、そっとそれを左右に剥いだ。


 ぞっとする程の恍惚。曝け出された白と赤と桃色。
 外気に触れさせることすらも、不快に感じた。


 震える手で銀を持ち直した。
 鼓動が収まらない。
 目に焼き付けておかなくてはいけない。この美しい色を。
 醜い過ちなど犯さぬように、勢いをつけてそれに突き立てる。
 破れた管からとろとろと流れ出る液体は熟れ過ぎた林檎のように鮮やかな赤。
 手が鈍らぬよう、先ほどよりも勢いをつけて刃を引く。
 くちゃり、と柔らかなそれを裂く音。
 流れる真紅で白と桃が濃く染まる中、芯の白が奥から現れる。
 その白から剥がすように刃を動かし、白と桃と赤を削いでいった。


 気づけば、カーテンの隙間から薄く明かりが差し、
 室内をほんのりと穏やかな色に染めていた。
 机の上に並ぶ、赤に近い桃色の塊。
 朝日に照らされて、つやつやとした光沢を持って輝いている。

 ……キレイ。

 悦に入りかけて、慌てて我を取り戻した。
 まだもう三本あるんだから。
 新しいうちに、作業を済ませてしまわないと。






「うわぁ、もう起きたの? それとも寝てない?」

 蝶番の軋む音とともに部屋へ入ってきた青年が声を出した。彼は眠そうに目を擦っている。  台所に引かれた分厚いカーテンの向こうからは、朝刊を配るバイクの音が聞こえてきていた。

 青年の視線の先にいるのは、ペンキでも零したかのように服の前面を赤茶色に染めた同世代の痩せた男。
 乾いて固まっているそれに頓着せずに、彼は椅子に座って机上の肉の塊に見入っていた。
 コンロの上に置かれた大きめの鍋がぐつぐつと音を立てて存在を示している。

「うん……」

 ぼうっとした返事を返し、彼はまた塊へと意識を戻してしまった。
 水で洗い流したのか血は一滴も付いていず、両生類の表皮のような湿った光沢がそれが生体であった事を主張しているようだ。
 青年は痩躯の男から視線を外し、流し脇の調理台の方を見た。
 そこにあったそれと目を合わせないように視線を彷徨わせるが、男の周囲は皆不気味な赤茶がこびり付いていて見目麗しくない。

「あのねぇ……狂牛病って知ってる? 『牛の骨と肉を粉末状にした肉骨粉』を食べさせる事による共食いが、異常たんぱくプリオンを発生させて、脳が犯されるやつだよ」
「うん……」
「異常プリオンが発見されたのは牛が原因じゃないの。共食いは科学的にも良くない事だって証明されてる訳」
「うん……」
「キミの脳がイッちゃったら誰が困ると思ってんの? オレなんだけど?」
「うん……」

 帰ってくるのは生返事ばかり。
 青年がうんざりだというように溜息を吐くと、男はゆるゆると彼に目を向けた。
 まるで調理台に乗る女の首のように、虚ろな目。

「彼女がね……彼女がいけないんだよ」

 うわ言のような呟きに、話を聞く青年は眉をひそめた。
 またか、とでも言いたげな表情などその目には映りもしないのか、男は口の中で転がすように続けた。

「僕以外の人と…喋ってた……あんなに楽しそうに……だから、だから……」
「いつもと同じ理由な訳ね。ま、今回は半年持っただけマシか」
「全部僕の……大好きなんだ、本当に、愛しいから……僕が……」

 独り言のようにブツブツと呟き、彼はふらりと立ち上がった。肉の塊をいくつかそっと手で持つと、コンロの方へと歩いていく。
 青年は肩を竦めて部屋の扉を開けて振り返り、細かく切った肉片をまな板から熱湯の中へ移す男の後姿に声をかけた。



「オレ、昼飯はシチューがいいな」





大丈夫、心配しないで。きみは僕が食べてあげるから

05.09.09 // 人が人を食べると、狂牛病みたいな病気に発症する事があるらしいですよ。
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title:少年はにびいろをした不可避の幻を見る